里山資源化チャレンジ

私の故郷「泉佐野市上之郷」は山の割合が80%を超える地域です。そんな地域で私の家系は代々、山を継承してきました。私の曽祖父は大工で祖父もタオル製造工場を開業するまでは大工を生業としていました。まさに日本家屋を作るための材料資源をもって家を作る地域の工務店を営んでいたそうです。その頃の私の家系の山に対する意識は当然のことながら高く、お風呂を炊くための薪や、仕事に使う木材などを取りによく山へ入っていたそうです。まさに山と共にあった奥家だったようです。しかしながら、父が祖父からタオル製造工場を引き継いで間もなくし、日本は高度経済成長期に入りました。タオルの製造量も多くなり、父は山へ行く時間を取れず、私は祖父に度々連れられ山へ入っていました。祖父は、日本政府が大々的に植林を促す補助金を出した際、山へ杉や檜を植える計画を立て申請し、その申請がおりました。祖父は、自身で広大な面積の山に杉と檜を植林した後に私に遺言を残しました「この山はお前のものだ。大切にしなさい。」

祖父の遺言は、時代を超えて私の心のどこかで私を山へと向かわせる時を待っていました。私が大学を卒業し紡績会社での修行を終え、父と共にタオル製造を始めてから2年がたった2015年に、何気ない会話の中でタオルを洗ったり乾かしたりする時に使っている重油を木質バイオマスでできないか?という会話が弾み、自分たちが持っている山の木を使えれば、山の管理とタオル製造をセットにできるのではないか?そんな軽はずみなことから、この挑戦は始まりました。長年管理を怠っていた杉・檜山は、木々の成長によって木々の間隔が狭くなり密集した枝葉によって光が苛まれ、下草が生えない山となり、土砂崩れなどの二次災害を引き起こす山になってしまいます。まさに私達の山も、そのような状態になっていました。父と二人で時間を見つけて山に通うようになり、まずは木々の間伐整備から始めました。切った間伐材は持ち帰り、薪を作ります。

薪作りは、これまで経験した事が無かったオノを使った薪割。はじめは慣れない薪割でしたが、コツを掴んでくると少しずつ状に割れるようになっていきました。そして、割った薪は約3か月間乾燥させて、使える薪になります。山師を始めたタオル屋さんとしてタオル製造工程内の脱石油化を目指し、薪の準備を始めて1年でようやく下準備ができてきました。

特注で作成してバイオマスボイラーで、自分たちの山から取ってきた間伐材で作った薪をくべて、タオルを洗っていく。重油を使ってタオルを作り出すという罪悪感が完全に消え去り、ゆっくりじっくり火の調整を行いながらタオルと向き合うというこれまでのタオル製造の価値観を完全に打ち砕くようなタオル製造を始めることができました。そのおかげで、「自浄清綿法」の開発にもチャレンジでき、また乾燥工程においても余分に余った熱エネルギーを循環させて、タオルを自然乾燥させる独自のタオル製法の実現にも繋がりました。そしてこれまで管理が億劫だった山をタオル作りに必要な工程として入れ込めたことで、また植林も同時に行っていくことでタオル製造の脱石油化の実現に加え、カーボンニュートラルの実質的な実現にも繫がっていくという、これまでのタオル製造の歴史を変える取り組みに育ってきました。そんな私達の里山資源化チャレンジは、地域のタオル製造と林業の持続可能な連携関係を未来へと繋ぐチャレンジとして、スマイリーアースはこれからも継続的に取り組んでいきます。