第四章 見え始めた歩むべき道
話が逸れたが、私は同じ過ちを繰り返さないためにも、そしてアフリカの地ウガンダ共和国で頑張る柏田氏やウガンダオーガニックコットン農家そして、オーガニックコットンを取り巻く環境に対し正直に向き合い、嘘や偽りで誤魔化さないオーガニックを目指すため、ウガンダオーガニックコットンしか存在しない一貫生産工場の中で、独自に脱化学薬剤を実現するための技術開発を進めた。
その頃の私は、工場の中での研究か素材を知るためにウガンダへ出向くかという生活を送っていた。
時には、オーガニックコットン栽培を手助けしてくれる蟻(アリ)の取材のためだけにウガンダへ行った時もあった。そして柏田氏とも行くたびに会い、その度に自分自身のやる気を充電させて帰国し、「答えがあるわけではない研究」に明け暮れた。
ウガンダと日本を行き来している中で、ふと柏田氏に紹介されたウガンダ北部で採れる「シアバター」に、「これで石鹸が作れるのでは?」と頭の中のシナプスが繋がった。そこから、石鹸作りの研究が私の中で始まる。石鹸を製造している会社を訪問し、いろいろ取材を重ね、気付けば自分で石鹸を作っていた。そして、ウガンダのシアバターに適したオリジナル配合の割合も、時間をかけて見つけ出し、私の工場の中で石鹸が作れる環境も作ってしまった。ウガンダのオーガニックコットンとシアバター。まさにこの組み合わせで生まれるシナジー効果への期待値が私の中で溢れだし、この組み合わせで化学薬剤処理をゼロ化したタオル生産プロセスを作り上げるイメージが私の中で整ったのが2010年の話だ。
ここで話は、少し遡る。
シアバター石鹸と私の巡りあわせについての話を、ここでしておきたい。
時は、2007年末に一貫生産工場が完成し染工場の専門家にレシピを提供してもらい、そのレシピの試験を行った時のことだ。この時、専門家に提供していただいた精練レシピは「酵素精練」という技術だった。「酵素精練で出る処理水は用水路にも流していい水質だ。」として紹介された精練レシピだったが、いざ試験を行った際に私が見たものは想像通りのものではなかった。
まず、酵素精練には3~4種類の化学薬剤が使われていた。そして、高温での炊き上げと排水が繰り返されるたびに用水路に湯気柱が立ち込めた。水田や田畑が多いこの地域で、多少なりとも生分解性の悪い化学薬剤汚染された処理水を用水路に流すことと、湯気柱が上がるほどの高温の処理水を用水路に流すことへの違和感が消えず、その日の試験は終了した。
後程、その日に試験を行った酵素精練にかかったコストを計算してみると驚きの数字が出た。
酵素の費用、3~4種類の化学薬剤の費用に加え、水を炊き上げるために使う重油の費用の額の高さに心底驚いたと同時に「化学薬剤会社や石油会社のために私は頑張らなければならないのか。」という思いになり、心底落ち込んだ。一貫生産工場の夢は達成できたが、すぐにとんでもない壁にぶち当たった私は、長年関わってきた大阪・泉州のタオル産地に「環境負荷のゼロ化や化学薬剤のゼロ化、化石エネルギーのゼロ化などの、地球環境を良くするという夢幻を追いかけるのは、もう諦めろ。」と言われたような気になったことを強く覚えている。
私は、この出来事をきっかけにゼロベースでものごとを考えるようになった。というよりかは、一度頭を白紙にせざるを得なかったといえる。なぜなら、自己資金ではあったが理想を求め突き進んだ先に、その時の自分が持っている力では動かすことのできない壁に突き当たったからだ。
白紙状態の頭で、まず向かった先はウガンダだった。
柏田氏に会い、またウガンダの風にあたる中で、落胆状態であった頭に、少しずつ思考の変化を感じていった。柏田氏とは、いつの間にか柏田氏の自宅に泊めてもらうようになり、いろいろな話を聞かせて頂いた。そんな会話の中で、ウガンダ北部で採れるシアバターについての話を聞き、ウガンダのシアバターへの関心が私の中で膨らんでいった。
ある時、ウガンダのシアバターを一度見てみたいと思い、柏田氏に紹介していただいた農家とシアバター精製工場の代表者と逢う事になり、ウガンダ北部のリラ地区へ向かった。私の到着を待ってくれていたシアバター精製工場の代表者は、快く歓迎してくれて私は人生で初めてシアバターというものを目にした。まさしく天然の植物性オイルだった。そこで、その代表者は私に「これを、見てくれ。」と差し出したのはウガンダシアバター100%で作ったとされる固形石鹸だった。私は、その石鹸がとても欲しくなり。頂けないかお願いしてみた。代表者は、「これは大変貴重なものだから譲れない。」と一点張りを崩さなかったが、「半分でいいから。」とお願いし、ようやく半分に切った上で、その半分の石鹸を売ってくれた。
半分に切ったウガンダシアバター石鹸を日本へ持ち帰った私だったが、一度使ってみたところ泡立ちが悪く、その時はあまり良い石鹸ではないという思いをしたことを、今でもよく覚えている。
期待値が高かった半面、とても落ち込んだ。
洗面所の高い場所へ置きっぱなしになってしまったウガンダシアバター石鹸だったが、ある日の出来事で、眠りから覚めたようにシアバターへの情熱が再燃する。そのきっかけになった出来事は、私はずっと地域の子供たちに週2回サッカーを教えるボランティア活動を長年続けていた。毎回、衣類を泥だらけにして帰宅するわけだが、その泥がこびり付いた衣類を妻が洗面所でウガンダシアバター石鹸を使って洗ったところ、汚れが他の石鹸よりもしっかりと落ちていることに気付き、私に伝えてきた。「この石鹸、良く汚れが落ちる。」その言葉を聞いて、私はウガンダシアバター石鹸がタオルを洗うための石鹸として使えるのではないかという仮説を頭に思い浮かべた。