第二章 柏田氏から託された約束
帰国してからの私は、柏田氏から預かったサンプルの糸を、まずタオルにすることだけを考えた。
この頃の私は、父から引き継いだ「奥織物株式会社」を経営し、タオル織機でタオルを織ることを事業としていていたため、これまで通りの作り方で、まずはウガンダオーガニックコットンの糸で1枚のタオルサンプルを織り上げることに取り組んだ。私はまず現状の織機でおれる糸にするため、糊付け屋さんに掛け合った。友人を通じて紹介してもらった糊付け屋さんは私に「ちょうどオーガニック専用の糊付けがあるよ。」と告げ、私は二つ返事でそのオーガニック専用の糊付けを発注した。糊付け屋さんから上がってきた糸を、そのまま整経屋さん(織機のビームに糸を巻く専門職)に届け、糸を巻いてもらった。整経屋さんからは「特に問題なかったよ。」と嬉しい言葉を頂き、難なくタオルのサンプルを織りあげ、いつもお願いしていた染工場へ精練加工をお願いし、ウガンダオーガニックコットンを使用したタオルのサンプルが無事に出来上がった。
私は、再びウガンダへ出向き柏田氏に預かった糸で織り上げたタオルサンプルを見せた。柏田氏はとても喜んでくれた。
私は、柏田氏に「これから、ウガンダオーガニックコットンを素材としたタオル作りに本気で取り組みたいと考えています。色々研究すべきことは多くありますが、頑張りますのでよろしくお願いします。」と熱意を伝えた。そしてその足で、ウガンダオーガニックコットンの農場が広がるウガンダ北部へ足を延ばし。初めてウガンダオーガニックコットンが作られるリラ地区(Lila District)へ入った。私が行った時期は、ちょうど花が咲いて蕾ができる時期だったため、コットンボールを見ることはできなかったが、これから長年向き合っていく素材を生み出す地域の空気を吸えたことで大きな満足感を感じ、また柏田氏の工場のようなウガンダオーガニックコットンしか存在しない「完全な一貫生産工場の実現」を目指すという心の中で芽生えた新たな目標を感じながらウガンダから帰国した。
帰国後、私はすぐに一貫生産工場実現に向け動き出した。とは言っても、何から手を付けるべきか見当もつかなかった私は、知人の専門家(タオルの熟練技師)にアドバイスをもらいながら、一つ一つ立ちはだかる問題と向き合っていった。
私がこれまで続けてきたタオル製造は、分業体制が構築されているタオル産地の中の一工程(織工程)を担い、また様々な企業に助けをもらいながら一つのタオルを作っていくタオル製造を行っていた。すなわち、「一人では何も作れないというタオル屋」だったといえる。そんなタオル屋が、一人でオンリーワンのタオルを作り上げようとするということは、タオル産地に関わる者からすれば、
まさに邪道の中の邪道として感じていたのではないだろうか。しかし、私がウガンダで見た柏田氏の工場と、ウガンダオーガニックコットンを栽培する地域を見た私にとっては、「中途半端に誤魔化したオーガニックは作れない。」そして「どうせするなら、とことんやりたい。」という気持ちが強く心に刻まれていた。「何と言われようと、納得いくところまでやろう。」そう決意を固め、私は夢の実現に突き進んだ。