第三章 立ちはだかるタオル産地という壁

私が、一貫生産工場を実現させるために導入しなければならない機械は、撚糸機・整経機・精練機・脱水機・乾燥器などなど、気の遠くなる話だ。しかし、時は味方した。僅か1年で、必要な機械の中古が見つかったのだ。2007年の2月から進めた、中古機械の買い付け作業は、知人に紹介頂いた解体工事会社の社長のおかげでスムーズに進んだ。その背景には、1990年代からの中国経済の台頭及び、2000年を過ぎたあたりからの世界的経済危機の影響を受け廃業する国内企業が増加し、2007年あたりも繊維産業界においては会社を処分する企業が後を絶たなかったことから、私が必要だった品質の良い中古機械がすぐに見つかり、集めていくことができた。

撚糸機を入れることができた時点で、サイジング(糊付け加工)をせずに織り付けしていく事が可能となった私のものづくりは、織り上げたタオル生地を自社で洗っていくための準備をすぐに進めることができた。私は自社で精練・洗い工程を行っていくために、その工程で使用する水の確保のため、井戸掘りを進めた。掘っても、掘っても土しか出なかったため、一度は諦めかけた。しかし、妻からは「ここまでやったのだから、水が出るまで掘ったらどうだ。」と励まされ、更に深く掘り進めた。そして、ようやく水が出た。泉佐野には地下水が豊富にあることは、昔から分かっていた。なぜならば、水を大量に必要とするタオル産地がここまで繁栄できたのは、まさにその水資源のおかげだからだ。葛城の峰に振る雨水が、地下に浸み込みできた水脈に私はようやく受け入れられ、夢の実現のため再び走り出すことを地元の自然に許された。

次々に購入した機械たちは、順番に工場の中に据えられ、私が頭で創造した一貫生産の世界が自らの工場の中に作り上げられていく。何とも言えない気持ちになった。そして、その年(2008年)の国際認証機関エコサートによるオーガニック認証の監査で、見事私が作った一貫生産工場は承認され、2008年からオーガニック認証を受けることとなった。案外簡単にオーガニック認証を取得できたことに私は、さほど驚かなかった。なぜなら、柏田氏のPHENIX社と同じ環境を作れば必ず取れると思っていたからだ。そして私は、オーガニック認証という「人が認証するモノ」に対してこのように解釈した。「オーガニックコットンを扱う事業社が、最低限越えなければならないハードルであり、最低限取得すべき認可。」であるということを。

しかし本当の試練は、一貫生産工場が完成し、またオーガニック認証も取得できてからが始まりだった。

柏田氏から預かったウガンダオーガニックコットン100%のサンプル糸をタオルにした際、糊付け(サイジング)をして織り上げた。その際、一般的な糊付けを行ってもらった訳だが、その頃から心の中の違和感を、薄々感じていた。その違和感は、「オーガニックなのに、加工の段階で自分が化学薬剤を使っている?」という矛盾への疑問だ。

オーガニック専用と謳っている糊付け加工もあるようだが、化学薬剤を単に少なくしただけの糊付け加工というのが、オーガニック専用糊付け加工の中身である。私はその真実の確証を得た時から、世間一般にささやかれるオーガニックという言葉には「言葉のまやかし」がかなり入り込んでいると疑うようになった。

そして私は、一からその「言葉のまやかし」を調べ始め、大阪タオル工業組合の組合員として理事を務めさせて頂いた際に、「天然糊100%」及び「化学薬剤無使用」の記載方法について理事として同組合に以下のように提言した。「天然糊100%での糊付けは不可能なのだから、正直に使っている薬剤を全て明記すべき。」と提言した。私には確証があった。糊付けをしている友人が私に教えてくれていたからだ。その友人は「天然糊100%での糊付けは不可能。必ず接着させるための薬剤が少なからずいる。今の天然糊の糊付けは、一般の糊付けよりは薬剤の量は少ないが、ゼロではない。必ず化学薬剤を使っている」と私に教えてくれていた。

しかし、私が行った提言について組合が後に出した答えは「組合は間違っていない。」という答えだった。その証拠として組合は、同加工を行っている糊付け業社(サイジング屋さん)の印鑑を各社に付かせ、問題が起こった時の責任は全て糊付け業者にあるとすることを明記した書面を私に提出した。そして、その中に私の友人の経営する会社が含まれていたことに、私はショックを隠せなかった。

タオル産地の発展を願い、また胸を張れるタオル産地として次への継承を想いタオルを作り続けてきた中で、こんなに悲しい気持ちになったのは初めてだった。

私は、大阪タオル工業組合の理事を退く決意を固め、組合に承認を頂き、理事をおりた。

オーガニックを「言葉のまやかし」で見繕ってはいけない。その覚悟で、私はタオル製造の脱化学薬剤を掲げタオル業界では前人未到の道へ足を踏みだした。産業革命が起こって以降、綿工業は化学薬剤の力でもって大衆が求める綿製品を大量に作り、より効率的に量産していくため多種多量の化学薬剤で綿を処理していく技術革新を積み上げてきた。そんな産業史が綿工業の産業史であるため、綿を、化学薬剤を使わずに加工していく技術は、どこを探しても、古い文献をあさっても見つからなかった。

化学薬剤を使って綿を処理加工する企業の専門家にアドバイスを頂き、またレシピを考えても頂いたが、結局は少量の化学薬剤を使う技術。そして、見えてきたものは「化学薬剤を使ってしまうと、処理水を無害化するための設備にも多額の費用が掛かってしまう。そして更には、化学薬剤で汚染された処理水を処理する装置にはバクテリアを飼わなければない。などの理由で、多額の経費が掛かってくる」ということだ。

1枚数円のタオルを作るために、膨大な経費をかけていては価格が上がり、相場が成り立たなくなる。そのようなタオル産業の都合を維持するため、化学薬剤汚染された処理水が地元の河川に流され、地元の河川からメダカが消え、ドジョウが消え、ウナギが消えていった。そしてその挙句の果てに、1998年に行われた環境省による水質調査で地元の河川「樫井川(かしいがわ)」は日本ワーストワンの河川としての評価を受けた。